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● プッチーニ 弦楽四重奏曲「菊」

 イタリアの作曲家ジャコモ・プッチーニ(1858-1924)は、オペラ作曲家として知られ、中でも「トスカ」や「蝶々夫人」、そして「トゥーランドット」の“誰も寝てはならぬ”などは、アイススケートの荒川静香さんがトリノ五輪で優勝したときの曲として知らない人はいないほどです。
 この曲は1890年、プッチーニが32歳のときの作品で、イタリアのサヴォイア家に生まれ、1870年にスペインの王となったアマデオ1世(1845-1890)の追悼のために書かれたものです。プッチーニのパトロンでもあった王のために、悲しみのうちにこの曲を一晩で書き上げたといわれています。しかし、冒頭からいかにもプッチーニらしい悲哀に満ちたメロディで、思わず引き込まれてしまいます。
 「菊」はもともとイタリアに中国からもたらされ、お墓参りに使われるのだそうです。その後その風習が日本に伝わり、弔花としてのイメージが定着したようです。
 このメロディは、後に歌劇「マノン・レスコー」に転用され、最後の幕の二重唱で効果的に使われています。(青木)

 

● ショパン ピアノ協奏曲 第1番 ホ短調

ポーランドの作曲家ショパン(1810〜1849)の故郷、ワルシャワで5年に一度開催されるショパン・コンクール。最終本選では、世界中から選りすぐられた若きファイナリストによって、ショパンのピアノ協奏曲第1番、第2番のいずれかが演奏されます。実際には「第2番」へ短調が先に書かれ、続いて第1番ホ短調が書かれたのですが、ショパン19~20歳の最初期の作品がこれほどポピュラーになったのは、コンクールの影響も大きいでしょう。アルゲリッチが弾いた1番、アシュケナージの2番、ダン・タイ・ソンの2番、ブーニンの2番、…など印象的な演奏が語り継がれています。 20歳のショパンは故郷ワルシャワで第1番協奏曲を演奏して間もなくヨーロッパデビューを目指して故郷を後にします。その後二度とポーランドに戻ることはありませんでした。ウィーン、ドイツを経て最終的にたどり着いたパリでショパンは成功をおさめ、「協奏曲第1番」は23歳の時に出版されました。 パリにいたカルクブレンナーというピアノの巨匠がショパンを弟子にしたいと考え、ショパンもそれに従うつもりでしたが、「カルクブレンナーなんかに習ったらショパンの独創性が失われる!」と友人リストらの猛反対に合い、この計画は取り止めとなります。しかしカルクブレンナーはこの「無礼」に怒ることもなく、その後もパリにおけるショパンの音楽活動を公私共に支援して行きました。出版にあたって協奏曲第1番はカルクブレンナーに献呈されています。 この「第1番」については、ショパンはオケ・バージョンとは別に「弦四重奏バージョン」を用意していて彼自身の練習に利用していました。現在でも「弦のみ」のバージョンで演奏されることは、この曲に関しては多いようです。 生涯ほとんどピアノ独奏曲しか書かなかったショパン、「オーケストレーションの技術は拙かった」としばしば批判も受けるショパンですが、むしろ弦バージョンで聴くことによって、本来の姿が見えてくるかもしれません。(安田) 

 

プッチーニ 歌劇「ラ・ボエーム」

ジョゼッペ・ヴェルディと並び、イタリアオペラでは人気の作曲家の筆頭、プッチーニにより1896年に完成された甘く切ない恋のオペラです。「蝶々夫人」「トスカ」といった世界的に有名なオペラに並んで、プッチーニ三大作品に数えられ、作曲されてから100年以上が経ついまでも、世界中の歌劇場で上演されている人気の作品です。プッチーニ作品の魅力である、色彩的なオーケストレーション、ドラマティックで甘美な旋律が盛りだくさんの傑作です。オムニパス風のプロットで変化に富み、ロマンティックな主人公たちの感動的な出会いと、死による別れ、そして、愉しく賑やかなクリスマスのパリの街の喧噪といった見所、聴き所が目白押しで、一瞬も目を離せないオペラといえます。(三好)

 

あらすじ
 1830年頃のパリ。カルチェ・ラタン近くのアパートの屋根裏部屋に、貧しい芸術家の卵たちが将来を夢見て一緒に暮らしている。
 火の気の無い部屋で、詩人のロドルフォと画家のマルチェッロは、あまりの寒さに仕事が手につかない。しかたなく、売れ残りの原稿を、暖炉にくべて暖まっているところへ、音楽家が稼いだお金や食べ物を持ちかえって大騒ぎのあげく、家賃になるはずだったお金を持って、町に繰り出すことになった。
 書きかけの仕事を仕上げるために一人残るロドルフォの元へ、隣に住むお針子のミミがろうそくの灯をもらいに来るが、息が切れて気を失ってしまう。その時ミミの手からロウソクと部屋の鍵が落ちてしまう。ロドルフォの介抱で気分が落ち着いたミミは帰りかけるが、鍵を忘れたことに気付く。 
 風でろうそくが消え、仕方なく二人は暗闇の中で鍵を探し始める。先に見つけたロドルフォは、そっとポケットに入れ探す振りを続ける。そしてミミの手に触れたロドルフォは、自分のことを語って聞かせ、またミミも自分の暮らしを話す。
 月明かりの中で、二人はすっかり恋に落ちてしまう。(第1幕)

 クリスマスイブ賑わう町で、ロドルフォは、ミミにバラ色のボンネット帽子を贈る。そしてカフェで仲間たちに合流し、新しい恋人を紹介します。画家マルチェッロもけんか別れしていた恋人ムゼッタと仲直りし、高い勘定はムゼッタのパトロンに押しつけ、通りかかった軍隊の行進に紛れて立ち去る。(第2幕)

 クリスマスから2ヶ月後。パリの町外れのキャバレーでマルチェッロは看板を描き、ムゼッタは客に歌を教えながらこの店で暮らしている。
 夜明け前、ミミが、家を出たロドルフォを探しながら、マルチェッロに相談にやってくる。ミミはロドルフォとの生活がうまくいかない悩みを打ち明ける。そこにロドルフォが、 起きて来て、マルチェッロと話し込む。物陰から聞いていたミミは、自分が結核で余命少ないことを知り、ロドルフォに別れを告げる。それでも二人は別れがたく、せめて春まで待とう、太陽があれば一人でも耐えられるからね、と慰め合うのであった。
 一方、マルチェッロは嫉妬心からムゼッタと口論になり、ののしりあったすえ喧嘩別れする。(第3幕)


 悲しい朝の別れから数ヶ月後、ふたたび屋根裏部屋でロドルフォとマルチェッロは、それぞれ別れた恋人を懐かしんでいる。そこに、ムゼッタが駆け込んで来て、ミミが命の尽きる前に一目ロドルフォに会いたいというので、連れて来たのだと話す。 
 二人きりなったところで、ロドルフォがバラ色のボンネット帽子を見せると、ミミは喜び、思い出を語り合う。 そしてムゼッタが、持ってきたマフをロドルフォからのプレゼントと信じさせると、ミミは手が温まると喜んで、幸せな気分でそのまま眠り込んでしまう。
 ムゼッタがマリア様にお祈りを捧げている時、音楽家がふとミミを見るとすでに息を引き取っている。ロドルフォは周りのただならぬ様子に事態を察し、ミミの亡骸にすがりついて泣き伏す。(第4幕)

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